マイヤージャパンはマイヤー英会話教室という屋号で英語教授サービスを提供しています。
同じく英語教授サービスを提供する事業として、英語塾、英語じゅくという業態があります。英会話教室と英語じゅくとの違いは名称の他に本質的違いは何でしょうか? ⇒ 英語塾
「英会話」というサービスから連想されるサービス内容としては、オラル(口頭)での英語の対話を練習する機会を与え、英語での会話の仕方、方法などを教授する英語サービスと考えるのが一般的ではないでしょうか。普通このサービスを提供するのは英語をネーティブとする外国人ということも前提にしていることが多いと思います。
一方、英語塾(英語じゅく)という名称から連想されるサービス内容としては、中学校、高校などの学校教育で実施される授業の英語の理解を助ける、補習する又は助長する主に読解(リーディング)と多少の英作文(ライティング)を含む英語の「勉強」の仕方を教える英語サービスと考えるのが一般的でしょう。普通このサービスを提供する先生は日本人ということも前提にしていることが多いと思います。
学校教育の成績で学校の成績がつけられ、そして受験して希望の高校・大学に進学することが学生の世代で最も重要な学生生活の目標の一つと位置付けられているため、英会話は学校で英語を学び始める前の「お習い事」で、塾は学校で英語が科目として勉強している間に通うまじめな勉学の対象、そして大学等を卒業して社会人になり、学校で学んだはずの英語が実社会で実用できないことを知り、仕事で取引先の外国人と対話する技能を学ぶために再び英会話教室に通う、というパターンが一般的なサイクルであったのではないでしょうか。
ところが、学校で学んだ英語が全く使い物にならないというのは、消費した時間を考えると非常に残念な状況であり、「実用に耐える」英語を最初から学校で教えるべきであるという考え方が最近では主流になりつつあります。そうするためにはどうすればよいか、という発想から出てきたものが中学校で採用されているALT(外国人による外国語指導助手、Assistant Language Teacher)あるいはNS(ネーティブスピーカー)であり、大学入試の英語試験をTOEFL試験やTEAP試験などの4技能評価テストに変えていくという最近の議論・展開です。
中学・高校生は学校の英語の成績や高校、大学の受験に焦点が向くので、いきおい英会話教室より英語塾(総合塾での英語の受講を含む)に通うほうが一般的になります。英会話教室では学校の成績に好ましい結果をもたらすトレーニングができないという(誤った)認識があるからです。従って、比較的塾は1クラスの人数が多く、英会話教室は人数が少ないという傾向にあります。一方、コスト面から分析すると、塾は先生として過去に英語の勉強を経験してきた人、すなわち大学生や若いフリーターの方などを配置することができ、教員のコストは比較的低くできます。一方、英会話で英語ネーティブの先生を配置することにより教員のコストは高くなります。価格はすべからく需要と供給のバランスで決まりやすく、日本での英語ネーティブの学位保有者という条件を満たすものは供給が少ないために価格は比較的高くなります。塾の講師に比べ、英会話の講師は少なくとも3倍くらい高い単価なのではないかと思います。
したがって、塾では多人数の受講生に比較的低価な教員、英会話では少人数の受講生にもかかわらず比較的高価な教員、という絵柄になり、英会話教室の経営は苦しくなる傾向があります。
英語を教えるのに英語ネーティブの講師がより適しているのか、英語を第2外国語として勉強した英語を知っている日本人が適しているのか、という議論があることがあります。英会話大名では英語を教えるのに、なぜあえて高い教員である英語ネーティブの教員にこだわるのでしょうか。仮に、英語を第2外国語として勉強した英語を知っている日本人が適しているということに真実があれば、わざわざより高い英語ネーティブの講師を使用するのは経済合理性にあいません。このことから明らかなように、英会話大名で英語を教えるのに英語ネーティブの教員を使用するのはサービスの品質を保ちたいからで、英語を教えるのに英語ネーティブの講師が断然適していると我々は考えています。英語に関する知識という最も肝心な部分で、英語ネーティブの講師と日本人の講師とでは技量の差が歴然としているからです。例えば、英語のライティング科目などでは普通の大学生が指導できるほど正しい英文を知っているとは考えられません。
ネーティブの英語の先生だと日本語で説明してくれないので授業が分からない、という話があります。
外国人は日本語が分からないというのは昔の話で、今日日本で英語を教えている英語ネーティブの先生は日本での滞在年数も長い人が多く、流暢に日本語を話せる先生もたくさんいます。しかし英会話大名では英語の授業中に教員が日本語を話すことは基本的に禁じています。クラスで教えるのは英語であって日本語ではないというのが主要な理由ですが、もうひとつ大きな理由は英語の意味を日本語で説明するというプロセス自体にほとんど使用価値がないからです。また、筆者は英語を日本語に和訳させるという従来の教育課程自体が英語習得を遅らせている大きな阻害要因であると観察しているからです。
英文和訳というプロセスにほとんど使用価値がない、というのは、(翻訳者・通訳者である場合を除いて)社会で実際に英語を使用する状況においては英語での対話が続くのであって、和訳を求められることはないからです。より卑近な場合の大学入試などにおいても今どき「次の文章を和訳しなさい」という出題をされることはまずありません。
順調な英語習得をするうえで最も重要なことは何かといえば「スピード」です。普通に会話される英語の文章をプロセスし、書かれた文章を1単語でも多くすばやく読み取る速さを獲得することが肝要で、これがまた英語習得の最終的な目標でもあるわけです。逆説的に聞こえるかもしれませんが、リーディングのスピードが速まれば、書いてある内容理解の正確度もこれに比例して上がります。
私の過去の読書経験では、英文は1分間に少なくとも300単語くらいのリーディングスピードで読まなければ使用に耐えません。使用に耐えないというのは、それくらいのスピードで読まなければ書かれている内容の興味深さにかかわらず「退屈」になり読むのをやめてしまいます。英語はおもしろくない、と思っている方のほぼすべての原因がこれだと思います。
英語を勉強する上で、英文の意味を日本語で説明する、すなわち「英文和訳」というプロセスはまさにリーディングスピードを半分以下に落とし込み読むのを耐え難いほどつまらなくして学習者を英語嫌いにする自殺的行為なのです。
教育は国家の一大事といわれることがありますが、そしてそれは真実ですが、もっと重要なことは教育は個人の一大事です。したがって英語を学ぶ場合には費用よりも品質を重視すべきと思いますし、せっかく英語塾に通うのであれば費用をけちって英語を知らない人に指導させる場所を選ぶより英語ネーティブの先生がスピーディーにきちんとした英語を教える英語塾を選ぶのが賢明です。