先日「英会話教室に行こう!」というブログ記事を書きましたが、本日はその続編です。なぜ英語は英語人に習え!なのかをもう少しお話しします。これは効果的な英語の勉強法という普遍的なテーマにつながります。
人間の学習とは人のすることをまねて覚えます。ですから、へたな人に習ったのでは少しもうまくなりません。
私は学生の時に数学がよくできました。数学は自分で解かなければダメだ、と世間ではよく言われます。うそっぱちです。ひととおりの定義や定理を学校の授業で習った後、私は試験以外で数学の問題を自分で説いたことはほとんどありません。数学は鉛筆をもって勉強してはいけません。時間がもったいないからです。鉛筆に頼って頭を使わなくなり、また覚えようとしなくなるからです。問題集の問題を「読み」、答えを「読む」と答えに導くための最も効率的な道順が書いてあります。それを見て「なるほど」と思えば、最も早く正しい道を覚えます。イメージを繰り返しながら何回か読むとさらによいです。「回答にいたる最も正しい道順」がすぐに頭に定着します。数学は答えのパターンをいくつか仕込んでおくと実際の試験では頭の机の中にしまってあるパターンのうちから一つを取り出してきて計算をしていくだけの作業になります。計算間違いをしないだけの計算力は必要ですが、それ以外は上手に回答してる人の解答(つまり模範解答例)をまねて再現するだけのことです。
勉強の効率が悪い人は、問題を読んで、鉛筆を持って一生懸命に問題を解こうとします。そして時には1時間くらいかかって行ったり来たりしたあげくにたまたま解けたりもします。その努力が知識を深めると思いますか?違うと思います。無駄な解き方を覚えただけで害にしかなりません。正しい道をたどれば30分で問題集の問題を読み、さらっと回答を読んで10問くらいの問題の解法が分かります。一方、解法、すなわちうまい人の解き方を無視して鉛筆を持って知りもしない問題を自分で解こうとする人は30分では間違えた解法の「残骸」しか残りません。次に同様の問題が出題されるとまた同じように誤った回り道をして答えがでないでしょう。答えがでたとしても非効率な解法で余計な時間がかかったものと思います。10個の知識を得た30分と、間違ったやり方を身に着けてしまった30分の違いが蓄積されていきます。大変な失敗です。少なくとも高校生くらいまでの基礎的な数学ではそうです。
英語も「これが主語で、どれが修飾語でどの語句にかかって」とか、屁理屈をこねくり回した話を日本語で100時間聞いても実際の英語の現場では何の足しにもなりません。基本的な文法を学んだあとは僕はほんとうに英語を知った人、英語の達人、すなわちある英国の作家の本を読みまくりました。その作家のうまい書き方を自分も書けるようになりたいと思い、書き方のまねをしようと何度も読み返しました。つまり、数学同様、うまい人の実践のまねをして学習をしたのです。たとえば、その作家は重要な人物のことを「a man of importance」と書いていましたので、私自身よくまねして使用しましたが、学校のテキストブックでは「重要な人とは名詞の前に形容詞のimportantをおいてan important man」という説明しかしてくれません。つまりません。名詞のあとにofをつけて名詞をつけて前の名詞を形容するというのは実践で覚えました。英語を覚えるという目的の前で、英語の理屈を語る日本語を1時間聞くくらいなら子供の話す生の英語を1分聞いて遊んだほうが英語の上達という観点でははるかに役に立ちます。
勉強であれ、スポーツであれ、すべて学習は古来から上手な人の実践の仕方を手本としてまねて覚え、そしてその人のやり方をひととおり学び終えたのちに初めて自分流の道を開き、道を究めて行くのが上達の最短の近道です。言語もそうです。英語を学ぶのであれば英語の達人に学ぶべきです。あやしげな英語をまねしても害にしかなりません。たとえば皆さんは日本語をどうやってマスターしたでしょうか?母親や家族、学校の大人たちの話す上手な日本語、また小説家の書く上手な日本語を真似して日本語をマスターしたはずです。日本語のあやしい外国人から日本語を学ぶと「ヘンな日本語」しか知らず、あるいは混乱して習得できなくなってしまうことは明らかで、日本人にとって英語は第2外国語だから適当な英語をあやしげな英語話者から習っても構わないという心持ではいつまでたっても英語を自由に運用できるようにはなりません。英語は完全な英語を使用する人の話す英語を聞き、完璧な英文を書く人の英文を読んでまねして覚えるのが最速の英語上達法です。
数学あるいは論理学などの考え方に帰納法という考えがあり、これは多くの実例や観察される事象から一定のルールを結論付けて法則を導き出す論理です。言葉の文法の理解や単語の意味の習得はこの帰納法によるところが多く、話者が話している言葉を多く聞き、筆者が書いている多くの文章を読むことにより、その多くの(正しい)使用例から一定の法則があることに気づき、多くの人が従う文法を自分なりに理解し、単語の意味を推定(インファランス)して知らなかった単語の意味を覚え順次自分のボキャブラリにしていきます。ここで重要なのは、一定のルールを効果的に導くには観察する口頭での英語や書面での英語の文章、用語の意味がすべて正しい用法をしているということが前提になります。例えば定冠詞の用法で、すべて正しく使用された使用例をたくさん観察し続けることにより、帰納的に定冠詞の使用における法則(文法)を覚えます。このとき、誤った使用例が混じれば混じるほど、文法を帰納的に理解することができなくなり、何が何だか分からなくなるか、最悪誤った文法を覚えます。
私は産業翻訳を生業としており、時に日本語から英語への翻訳をします。英語をネーティブとする日英翻訳者からは日本人が英訳をしてはいけないと非常に強く非難されます。何故?それは英語ネーティブでない人が英語を書くと読むに堪えないへたくそな英語にしかならないという理屈です。僕は12歳から40年以上正しい英語を読みそれを手本として英語を書いてきましたが、それでもネーティブでない言葉は訳者として書いてはいけないという人がいます。それくらい、言葉を完全に駆使できるレベルにするのは難しいということです。
中途半端な英語の話者から英語を学ぶなかれ。もちろん英語ネーティブであれば英語を教える知識があるとは限りません。しかし英語ネーティブでない英語話者の英語であなたがまねして学習するに足るものはほとんどありません。英語はほかの科目同様、あるいはそれ以上に、完全な知識(英語)をマスターした人(これはほとんど英語ネーティブの人と同義に等しい)の使う英語をまねして学ぶべし。それ以外は百害あって一利もありません。
永江俊一
英会話大名
福岡県福岡市中央区大名2丁目